弥助がハリウッドで映画化?織田信長に召し抱えられゆくゆくは城主だった?

「ブラック・サムライ」と呼ばれているのが、織田信長に仕えた弥助という人物です。アフリカ人と言われている弥助は宣教師の奴隷でしたが、織田信長に気に入られ家臣として仕えるようになります。本能寺の変でも信長の一員として戦っています。

今回は弥助の人生を年表付きで解説し、人柄や人物像、名言やエピソードについても紹介したいと思います。

弥助の基本情報

弥助の人生

できごと

弥助は奴隷だった?

弥助は、戦国時代に日本に渡来した黒人で、宣教師所有の奴隷として織田信長に献上されました。織田信長は弥助を気に入り、家臣として召し抱えています。戦国時代、スペイン人・ポルトガル人が日本を訪れるようになり、アフリカ出身の国人も彼らの従者や奴隷として連れてこられていました。その数は少ないものではなく、弥助もそのような境遇の黒人だったと考えられています。

出自について

弥助の出自については、「日本教会史」に記述があり、イエズス会の宣教師:ヴァリニャーノが来日した際にインドから連れてきた召使で、出身地はポルトガル領:東アフリカ(現:モザンビーク)とされています。

ヴァリニャーノは来日する前にモザンビークに寄港した後に、インドに長く滞在しており、弥助がヴァリニャーノによりモザンビークから連れてこられたのか、先行してインドに渡っていたのかは分かっていません。

1581年3月27日にヴァリニャーノが織田信長に謁見した際に弥助も同行しています。弥助について「信長公記」には「切支丹国より、黒坊主参り候」という記載があり、年齢は26、27歳くらいで「十人力の剛力」、「牛のように黒き身体」との描写が残っています。

織田信長は弥助をいたく気に入ったようで、ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらい、「弥助」という日本名を与えたとされています。元の名前は分かっていません。武士の身分を与えられた弥助を織田信長は、いずれは城主にしようとしたとも言われています。

本能寺の変後の消息は不明

「家忠日記」の1582年5月11日の記載には、「信長様が、扶持を与えたという、宣教師から進呈されたという、黒人を連れておられた。身は墨のようで、身長は約1.82メートル、名は弥助と云うそうだ」とあります。これは甲州征伐からの帰国途上に、織田信長が徳川領を通った際に、徳川家康の家臣:松平家忠が目撃した時のものとされています。

この日記には、奴隷の扱いではなく、武士の身分を持った人物だったとはっきりと書かれています。本能寺の変の際、弥助も本能寺に宿泊しており、明智軍の襲撃を知ると織田信忠のいる二条御所に異変を知らせに行き、織田信忠を譲るために戦っていますが、明智軍に捕縛されています。

「イエズス会日本年報」によると、「ビジタドール(巡察師)が信長に贈った黒奴(弥助)が、信長の死後世子の邸に赴き、相当長い間戦っていたところ、明智の家臣が彼に近づいて、恐るることなくその刀を差出せと言ったのでこれを渡した」との記載があります。

明智光秀は弥助の処分について、「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」とし、南蛮寺に送られ一命はとりとめています。その後の弥助の消息については、分かっておらすいつどこで亡くなったかも分かっていません。本能寺の変後に他の地域に黒人が登場する記載がありますが、この黒人が弥助なのかも不明です。

その為か、ドラマなどでは本能寺の変で織田信長と共に亡くなったという描き方もされています。

弥助の人柄・人物像

弥助の人柄や人物像について、紹介したいと思います。

珍しいもが好きな織田信長

織田信長と弥助が初めて会った時、黒人を見るのが初めてだったこともあり、各地で大騒ぎになったようです。織田信長は珍しいもの好きで知られていますが、「肌が黒い人間」の存在が信じられず、弥助の上半身を脱がせ、体を洗わせたというエピソードも残っています。

ヴァリニャーノは、「織田信長は黒人奴隷(弥助)の服を脱がせて体を洗わせたところ、洗い擦るほど肌が黒くなった」と記述しています。その後、織田信長は弥助を気に入ったことや、弥助が日本語を少し話せたこともあり、織田信長と弥助は気が合うことがあったのかもしれません。

世界情勢を聞き出すために、弥助を召し抱えた?

織田信長は、単に黒人で気が合いそうだから弥助を召し抱えた訳ではないようです。織田信長は天下統一を成し遂げた後は、海外進出を視野にいれていたとも言われています。そこで、当時の世界情勢を弥助から聞き出す目的もあったのではないでしょうか。弥助は織田信長の小姓兼身辺警護役に相当する身分だったと見られています。

弥助の名言・エピソード

弥助の名言やエピソードについて、紹介したいと思います。

織田信長のデスマスクとは?

本能寺の変の際、織田信長の遺体が見つからなかったため明智光秀は血眼になって探しましたが、見つけることはできませんでした。後に羽柴秀吉が織田信長の葬儀を行っていますが、やはり遺体が見つからなかったこともあり、棺には織田信長の木像を納めたとされています。

織田信長のデスマスクと伝わるものが伝えられていますが、これは弥助が持ちだした織田信長の首から作ったものだとされています。真偽のほどは分かりませんが、興味深い内容ですよね。

怪力の持ち主だった弥助

弥助が織田信長の元で武士の身分と屋敷まで与えられたのは、単に織田信長が珍しいもの好きだったからではありません。弥助は「十人力の怪力」と呼ばれるほどの怪力の持ち主で、伊賀攻めや甲州征伐などの戦いにも織田信長に随行していたようです。本能寺の変でも奮戦したと記載もあるので、腕が立つ人物だった可能性は高いです。

フィクションにおける弥助

フィクションにおける弥助についても、紹介したいと思います。

信長の野望における弥助

残念ながら、信長の野望に弥助は登場していません。レギュラー武将としての登場はありませんが、ボーナス武将として登場するシリーズもあるそうです。

ドラマにおける弥助

織田信長が登場するドラマに、弥助が登場している作品もあります。近いうちにハリウッドで弥助を主演にして、映画化されるという情報もあります。弥助の史料は少ないので、弥助側から見た日本や織田信長が描いている作品は皆無なため、注目されています。

弥助にとって織田信長は恩人だったのか?

織田信長は生前、自身を祭る寺(総見寺)を作り自身が「神」になろうとしたというエピソードがあります。これが本能寺の変の一因になった(イエズス会黒幕説)とも言われていますが、弥助にとってみれば奴隷の身分だった自分を、取り立ててくれた恩人だったのかもしれません。

身分や出自にこだわらない織田信長だからこそ、弥助を召し抱えたという見方もあります。人を信用しないと言われる織田信長が一番信用していたのが、弥助だったのかもしれません。