鶴姫は伝説となった姫武将!その伝奇や身につけた鎧とは?

鶴姫は戦国時代の伊予国にいたとされる女性武将で、弱冠16歳という若さで鎧を身につけて大三島に侵攻した大内氏と戦ったとされる「鶴姫伝説」として伝わる人物です。

この記事では鶴姫の生涯を年表付きで分かりやすく解説していきます。鶴姫がどのような人物であったか、どのような名言やエピソードを残しているのか、フィクションにおける鶴姫など、様々な視点から解説していきます。

鶴姫(つるひめ)の基本情報

鶴姫(つるひめ)は伊予国出身の戦国時代を生きた女性です。

現在の大三島に「姫武将伝説」として伝わる女性で、16歳という若さで鎧を身につけ、大三島に侵攻してきた大内氏と交戦したとされる人物です。

その生涯の多くは謎に包まれていますが、瀬戸内海のジャンヌダルクとして現在まで語り続けられています。

鶴姫の人生

できごと

大祝氏の娘として誕生

戦国時代の四国地方は、数々の戦で有名となった村上水軍など豪族や海賊が入り乱れた4つの国で別れており、そのうちの伊予国は河野氏(越智氏)が治めていた地帯でした。鶴姫が生まれた大祝氏は河野氏を起源に持った一族で、大三島にある大山祇神社の大祝職として代々受け継がれてきました。大祝氏は神職の家系であったため、本来は戦場に出る役割はなかったのですが、河野氏の一門に加わっていたことから、主君の代理として陣頭に立つ役目としての陣代として一族から仕わしていた経緯があります。

1526年、鶴姫は大山祇神社の大祝職である大祝安用の娘として誕生します。長兄に安舎、次兄に安房という兄弟がおり、のちに安舎は大山祇神社の大祝職を継ぎ、安房は陣代として活躍しています。

大内氏の侵攻に脅かされる大三島

戦国時代になると、中国・九州地方で絶大な権力を保持していた大内氏が大三島にも勢力を向けるようになっていきます。本来は神職にあたり戦場に立つ役割がなかった大祝氏ですが、戦争が起きた場合は一族の代理役として陣代を立てて派遣していました。第一次大三島侵攻では長男の安舎が父の代理として陣代に立ち、河野氏や村上水軍と共に大内氏を撃退しています。

1534年、鶴姫が8歳の頃に父の安用が病死することで、大祝職に長男の安舎がつき、陣代として二男の安房が派遣されました。度々撃退されるも諦めない大内氏は、1541年6月に水軍の将である白井房胤を派遣し再び大三島を攻めていきます。大祝氏は大祝職となっていた安舎に代わり、二男である安房が陣代として三島水軍を率いて出陣し、河野氏・来島氏と協力し大内軍を迎え撃ちますが、その戦いの最中に陣代の安房が討ち死してしまいます。

鶴姫、出陣

兄の戦死を知った鶴姫は、兄の代わりに自らが大三島と大山祇神社を守る決意をし、甲冑を着て馬に乗って戦場へ突撃しました。体格にも恵まれていたとされる鶴姫は大薙刀を振り回し敵陣へ突撃することで味方軍の指揮を上がり、見事大内軍を退けることに成功します。

同年10月には再度大内氏が侵攻してくると、討ち死した兄の安房に代わって、わずか16歳の鶴姫が出陣します。鶴姫は敵軍の将である小原隆言を相手に勇ましい姿を見せ、自ら敵兵を討ち取り火矢を放つなどして大内軍を追い払いました。この戦いの後に鶴姫は兄の安房の跡を継いで陣代となります。またこの時期に兄の安舎の配下である越智安成と恋人となり、共に戦うパートナーを得ることになりました。

しかし、諦めない大内氏は1543年に、今度は武勇優れる陶晴賢の軍勢を差し向けます。鶴姫と河野家は全力で迎え撃ちますが、大軍で侵攻してきた大内軍の前に多くの味方が討たれ、その戦いの最中に鶴姫の恋人でもある越智安成も討ち死してしまいます。劣勢を鑑みて大祝職の長兄安舎は大内氏と和睦を持ちかけますが、鶴姫は残った兵を集めて島の沖に停泊していた大内軍に決死の夜襲を掛けて敗走させることに成功します。

大内氏が退却した後、恋人や多くの一族を無くし悲しみに暮れた鶴姫は船に乗って沖合に出ると、そこで自らの命を絶ってしまいます。享年18歳という若さでした。

鶴姫の人柄・人物像

鶴姫の人柄や人物像について解説していきます。

男勝りの姫武将

1526年に大山祇神社の大祝職である大祝安用の娘として生まれた鶴姫は、生まれた頃より体格が良く、整った顔立ちをしており、父の安用は大層可愛がったとされています。

鶴姫は幼い頃から連歌や神道、琴などを身につけ、さらに武術や兵法などを学び、まさに男勝りの女性として育っていきました。父や兄が亡くなった後は自ら甲冑を着込んで戦場に立ち、大薙刀を振るったことから相当に武術に優れた女性だったことがわかります。当時中国地方を中心に名を馳せていた大内氏を相手にしてもその武力を遺憾無く発揮し、その勇姿は後世に置いて「瀬戸内海のジャンヌダルク」と称され伝わりました。

越智安成との悲恋

鶴姫には2つ年上の越智安成という幼馴染の恋人がいました。2つ年上になる越智安成は鶴姫の兄である安舎に仕えていたとされる人物です。この越智安成が二男安房の戦死後に陣代を継いだとされる説もあり、いずれにせよ恋人として、戦場においてのパートナーとして鶴姫を支えた最愛の人物でした。十代半ばに芽生えた二人の恋は、度重なる大内氏の侵攻に脅かされつつも愛を育んだと言われています。

しかし、1543年の大内氏の侵攻時に鶴姫と共に陣頭にたった越智安成は、若くして討ち死してしまいます。悲しみに暮れた鶴姫は大内氏を退けた後、恋人のあとを追うように入水自殺を遂げます。

「わが恋は 三島の浦のうつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」

鶴姫が最後に残した辞世の句となります。二人の悲恋を思わせるそんな句となっています。

鶴姫の名言・エピソード

鶴姫の名言やエピソードについて解説していきます。

敵船に乗り移る勇ましき姫武将

1541年に兄の安房の死に伴い戦場に立つこととなった鶴姫ですが、同年10月の大内氏の侵攻では兄に代わって出陣していきます。甲冑の上に衣を羽織って早船に乗った鶴姫は、敵船に近づき遊女の振りをして油断させると、攻撃を仕掛け敵船の船に乗り移り、敵将の小原隆言を捕まえて「われは三島明神の鶴姫なり、立ち騒ぐ者あれば摩切りにせん」と言い放ち、敵兵を次々と打ち取っていったと言われています。

鶴姫所用の鎧として伝わる「紺糸裾素懸威胴丸」

鶴姫が着用したと伝わる鎧は大三島の大山祇神社に重要文化財として今も残されており、日本史上に姫武将と称された人物は他にもいますが、この鶴姫の鎧が現存する女性用の唯一の鎧とされています。この甲冑は男性用と異なりウエスト部分がくびれ、胸のあたりは大きくなっており、明らかに女性の体型を想定した作られたものとして、鶴姫伝説の信憑性を世の中に伝えた物となります。甲冑のサイズからは鶴姫は背が高くない細身の体型であったことが分かります。

現在の大山祇神社には日本に現存する鎧のうちの40%が残っており、そのうち国宝が8点、重要文化財が32点収蔵しています。鶴姫の勇姿と悲恋は鎧と共に「国宝とロマンの街」として大三島の一大観光スポットとしてPRされています。

フィクションにおける鶴姫

フィクションにおける鶴姫を解説していきます。

信長の野望における鶴姫

姫武将として名を馳せた鶴姫は信長の野望シリーズでも河野氏の家臣として登場しています。信長の野望では、大祝鶴という名前で能力値は統率78,武勇82,知略73と高い能力値を持っているため、河野氏の家臣団の中でも非常に使いやすい武将として重宝します。

小説における鶴姫

小説においては1966年に鶴姫の名を一躍広めた小説として、三島安精さん著書の「海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク」が刊行されています。この小説が発売されるまでは地元大三島の人でも鶴姫の名を知る人は少なく、一気にその知名度をあげた作品として有名となっています。

鶴姫は大三島を守るために立ち上がった勇猛な姫武将

鶴姫は度重なる大内氏の大三島侵攻に勇敢に立ち向かった戦国を代表する姫武将でした。

その最期は最愛の人を無くした喪失感と共に自らの命を絶ってしまいますが、彼女が残した伝説は様々な媒体を通して今も人々の心に語り続がれています。