十河一存の異名鬼十河の由来とは?ゲームでの能力や子孫の情報も

十河一存は三好家に仕えた軍随一とも言われる武勇を兼ね備えた武将で、鬼十河という異名で敵から恐れられた。

この記事では十河一存の生涯を年表付きでわかりやすく説明します。十河一存がどのような人物だったのか、異名の由来、人気ゲームの能力など様々な視点から十河一存を解説します。

十河一存の基本情報

十河一存(そごうかずまさ)は阿波国出身の戦国時代を生きた武将です。

30年という短い生涯ではありましたが、兄である三好長慶に仕え、戦での圧倒的な強さから鬼十河のと呼ばれ現代でも戦国時代のゲームなどでは強キャラとして親しまれています。

十河一存の人生

できごと

誕生から三好長慶の天下取りまで

十河一存は1532年に三好元長の四男として誕生しました。しかしそのとき既に父・三好元長は細川晴元との政争に敗れて享年32歳で自害していた為、父の顔を知らずに育ちました。長男に三好長慶・次男三好実休・三男安宅冬康・弟に野口冬長がおり、長男の三好長慶が家督を継いでからは兄弟たちと共に支えることとなります。讃岐十河城主・十河影滋の子が早死したこともあり、三好長慶の命を受け十河家の養子となりその後家督を継ぎました。

兄・三好長慶は当時政権を握っていた細川晴元の元で太平寺の戦い・舎利寺の戦いなどで戦功を重ね三好氏の総帥としての地位を固めに入っていました。十河一存も元服する前から幾度となく戦に参加し勝利に貢献したと言われています。しかし天下を取る為、三好長慶は細川晴元と敵対する細川氏綱の陣営に転属し、同じ三好家の三好政長と摂津江口の戦いが起こします。十河一存も戦に参加し、敵城・江口城をの連絡と退路を遮断し孤立させたり、兄三好長慶と共に東西から江口城を攻め疲労していた三好政長を始め800人ほどを討ち死にするなど勝利を決定づける大活躍をしました。

この戦いによって各大名が細川晴元から三好長慶へと移り、細川晴元の政権が崩壊し三好長慶の政権が確立しました。

連戦連勝!鬼十河の誕生

摂津江口の戦いで三好長慶の信頼を得た十河一存はここから度々戦に出陣します。将軍と共に一度京都から逃げ出した細川晴元が京都復帰を狙い、三好長慶を合言葉に兵を挙げますが、十河一存らはそれに対峙し京都復帰を阻止。その後細川晴元の家臣細川持隆が上洛しようと三好実休と争った際にはそれを助け細川持隆を殺害しました。

1558年には細川晴元が再び兵を挙げ、北白川の戦いに劣勢から途中参戦し戦況を優位に進め、幕府軍との和睦にも一役買いました。1560年には畠山高政との戦いにも活躍し三好長慶から評価され岸和田城の城主となりました。

その後も三好長慶をよく補佐し家臣からの信頼も厚かった他、勇猛果敢に武勇を発揮し、容姿も鬼のようであったことから「鬼十河」「夜叉十河」の名を近畿・四国に轟かせました。

突然の死・・・三好氏の凋落

岸和田城主となった十河一存はは近畿地方各地を転戦して武功を挙げ三好長慶を支えました。しかし1561年3月18日に病を患い享年30歳という若さで亡くなりました。死に関しては諸説ありますが、瘡で亡くなったことが一番有力と言われています。

鬼十河が戦場を去ってから天下人だった三好長慶率いる三好氏は凋落の一途をたどります。まずは十河一存が支配していた和泉から挙兵され久米田の戦いが起こり兄・三好実休までも戦死し、三男安宅冬康は自らの手で殺害。さらに三好長慶の嫡子も22歳の若さで死去するなど身内が多数亡くなり、三好長慶自身も十河一存の死から3年後に死んでしまいます。その後織田信長に敗れた三好氏の政権は完全に終わりを告げました。

十河一存の人物像

十河一存の人物像について解説します。

江戸時代に大流行!十河額!

江戸時代の中頃、人々の暮らしも風俗も戦国時代のものが消えかかった太平の世に若い武士達の間で「十河額」という髪型が突如大流行しました。その髪型の元祖がまさしく十河一存でした。月代を広く、四角く剃り込んだ「十河額」。平和な世に猛将鬼十河の精神を少しでもあやかりたいと、この荒々しい髪型が広まっていきました。

しかし十河一存本人は目立ちたかったり、お洒落でやっている訳でなく、脂性だったので長時間兜を被っているとムレてしまいオデキができる為、前髪を全部抜いてさらに大きく広げて剃ったのがこの髪型の起源だと言われています。特に夏場は痒く、臭くとても辛かったとのことです。

十河一存の子孫

十河一存の子孫は現在も生きており、その一人が10か国で事業を展開する企業のCEO十河宏輔さんです。主にアジアでネット広告や人材紹介を手がける会社を設立し2年で10か国の国と地域に進出しる企業を手がけた十河宏輔さんは、勇猛果敢な先祖と同じく乱世真っ只中のアジアに各国に城を築くべく陣地拡大中なのです。2年で10か国に進出した事業展開のスピードと実行力も十河一存の子孫らしいと言えます。

また十河宏輔さんによると一国一城の主の遺伝子からか親類には経営者が非常に多いとのことです。

十河一存のエピソード

十河一存のエピソードについて解説します。

鬼十河の由来

讃岐国の国人寒川氏との戦い中、十河一存は左腕を負傷しました。戦況を観ながらその左腕の傷口に塩をすり込みその上から藤の蔓をぐるぐる巻きにして固定するというワイルドな止血をしました。この治療が終わるとすぐさま何食わぬ顔で戦を続け戦場を走り回り敵をなぎ倒し続け、勝利を得て平然と帰還しました。このことから敵・味方ともなく「鬼十河」「夜叉十河」と異名をつけられました。

死の秘密

十河一存の死因は瘡による病死と言われています。しかし死んだ時傍に仲の悪かった松永久秀がいたことから暗殺ではないかという説もあります。有馬温泉で療養中だった十河一存に偶然来ていた松永久秀が「有馬権現はその色の馬を好まないからやめた方がいい」と言われたが、十河一存は忠告を無視し落馬して絶命したという説もあります。これは松永久秀が馬に細工をし、自分の言うことを聞かない十河一存に馬を乗らないことを勧めれば逆に乗って帰るはず、と言う策略があったと言われています。

長男三好長慶以外の兄弟は揃って松永久秀を嫌っていて、三男安宅冬康も松永久秀の進言によって三好長慶によって殺されたことからこの説を信じる人もいます。

ゲームにおける十河一存

ゲームにおける十河一存を解説します。

戦国IXAにおける十河一存

2015年に追加された武将で現在は排出が停止されています。成長は攻撃18、防御16、兵法2.0

「黒鬼刺」「鬼神刺」が移植可能な合成素材です。「鬼神刺」がランクBスキルなのでスキル入れ替え用素材としても使えます。また素材にする武将へ「黒鬼刺」と「鬼神刺」を付ければ「鬼神刺」素材になるのでスキル合わせも可能です。

信長の野望における十河一存

十河一存のステータスは作品にもよっても異なりますが、統率が83、政治19、武勇93、知略55、義理61と史実通り武人としての能力が高い武将です。

戦国大戦における十河一存

Ver1.0から参戦しており、武力8と統率4とバランスのいい能力で特技はありません。計略は汎用の「不屈の構え」。高い武力から更に武力が上がって兵力まで回復すると言う敵だと厄介なものです。キャッチフレーズは「鬼十河が、三好家を守り抜く!」

十河一存は兄を支える猛将

十河一存は天下人となった兄三好長慶を武として支えた武将として知られています。鬼十河と呼ばれたことからも敵にとっては恐怖な存在でした。

30歳という短い生涯で終えてしまいましたが、そこから三好氏は凋落の一途をだどることから三好氏にとって十河一存は無くてはならない存在だったことが伺えます。