佐々成政(さっさなるまさ)は武勇に長けた武将!埋蔵金の噂や前田利家との関係も!

佐々成政は織田家に仕えた武将で、その武力と軍事化としての才略は織田信長や豊臣秀吉も認めるなど、生粋の武人として非常に評価の高い武将です。

この記事では佐々成政の生涯を年表付きで分かりやすく解説します。佐々成政がどのような人物であったか、どのような名言を残しているのか、アニメやドラマにおける佐々成政など、様々な視点から解説してきます。

佐々成政の基本情報

佐々成政(さっさなるまさ)は、尾張国出身の戦国時代から安土桃山に生きた武将です。

その生涯の大半を織田信長に仕え、信長が本能寺の変で亡くなってからはその息子である織田秀信、その後は豊臣秀吉に仕えました。

佐々成政の人生(年表付き)

できごと

生誕から富山城主まで

佐々成政は1533年に尾張国に生まれました。※生年月日においては諸説あり

1560年に24歳で佐々家の家督を継ぐと、織田信長のもとで数々の武勲をあげることになります。翌年の1561年には池田恒興とともに稲葉一鉄のおじである稲葉又左衛門を討つという大勲をあげ、その後も姉川の戦いや長島の一向一揆などの数々の戦いで武勲をあげます。

1575年の武田家との長篠の戦いでは、前田利家や野々村正成、福富秀勝、塙直政などとともに鉄砲隊を率いて勝利に貢献。

同年9月には越前府中に3万3000石を受領し、小松城を居城としました。

その後も数々の武勲をあげ、越中国の平定をすると1581年には正式に越中半国を与えられます。翌年には越中一国の守護となり、富山城を居城としました。

織田信長死去後

1582年に本能寺の変が起こったものの、その直前に上杉家の魚津城を攻略していたばかりの佐々成政は上杉家と緊張関係にあったため、明智光秀の討伐を羽柴秀吉に先を越されてしまいます。

その後の1584年の賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家につき、後に降伏してかろうじて本国は安堵されます。

しかし、1585年の小牧長久手の戦いでも徳川家康側につき豊臣秀吉と対立し、最終的には降伏し領土を完全に没収されてしまいます。

肥後一国時代と佐々成政の最期

その後の佐々成政は御伽衆として豊臣秀吉に仕え、1587年に秀吉から「羽柴」性を与えられ、順調に立場を回復していきます。

同年の九州征伐では功をあげたことを契機に肥後一国を受領しますが、検地をめぐって国人と対立が起こり、肥後国人一揆が起こってしまいます。これを自力で鎮められなかった責任を追求され、同年に切腹を命じられます。(享年53歳)

摂津国尼崎の法園寺は、佐々成政が切腹した土地として有名です。

佐々成政の人柄・人物像

佐々成政の人柄や人物像についてまとめます。

武人(軍事戦略家)として高い評価

佐々成政は豊臣秀吉と2回にわたって対立し、領土を没収されてしまいます。本来切腹でもおかしくないところを免除され、なおかつその後切腹の原因にこそなってしまうものの、肥後一国を与えられています。

これは秀吉が佐々成政の軍人としての力を高く評価しているという事実を裏付けています。家康や信長も同様に指揮官としての力を高く評価していたと言われています。

部下に慕われる人柄

佐々成政は気前が良いことで知られており、仕官を望むものが多かったと言われています。

決まっていた禄高より多くの知行を与えたり、武功をあげたものを取り立てて重用する姿勢が人気の理由だったようです。

佐々成政の名言・エピソード

佐々成政の名言やエピソードについて解説します。

さらさら越え

小牧長久手の戦いの最中(時期については諸説あり)に、豊臣秀吉に対して和議を考えていた徳川家康、織田信雄に対して再挙を説得しに、真冬の日本アルプス(飛騨山脈、立山)を超えて浜松にたどり着いたという逸話があります。

結果的に良い返事が得られなかったものの、そのエピソードは非常に有名になっています。

実際には当時佐々成政は49歳と高齢であり、装備が充実している現在でも難しい厳冬のアルプスを踏破するというのはありえないというのが通説です。迂回ルートなどをとったと思われているものの、現在でも正確なルートはわかっていません。

さらさら越えの際に佐々成政が埋蔵金を隠したという伝説が今も越中には残っているそうです。

黒百合伝説

早百合(サユリ)という美人な側室がいた佐々成政ですが、その美貌が嫉妬を招き、「早百合の身ごもった子どもは成政の子どもではない」と噂が立ってしまいます。

それに激怒した成政は有無を言わせず早百合を殺し、さらに一族郎党も殺害してしまいます。

この殺害された早百合の怨念が殺された川の付近で出るという噂が黒百合伝説です。

フィクションにおける佐々成政

フィクションにおける佐々成政を解説します。

信長の野望における佐々成政

佐々成政のステータスは作品によっても異なりますが、統率が75、武勇が80、知略が59、政治65と、史実のとおり武人としての評価が高い武将です。

初期の方の作品から登場しており、武官として使いやすい能力値をしています。

ドラマにおける佐々成政

これといった代表作はないものの、「信長協奏曲」や「軍師官兵衛」などの作品で登場することがありました。

どれも中年の大柄でぶっきらぼうだが武勇に長けるといった描かれ方をされることが多いです。

佐々成政は武勇に長けた織田家の武将

佐々成政は幾度となく秀吉と対立しては、その武勇で認められた武力に長けた武将でした。

最後は尼崎で切腹と不運な最期を迎えますが、孫が後に徳川綱吉の正室になるなど、歴史に確実に血脈を残しています。

前田利家や柴田勝家とのエピソードも多く、人気のある武将と言えるでしょう。