織田信長に暗殺された弟・織田信勝!大河ドラマなどで演じた役者も紹介!

織田信勝はあの織田信長と同じ父と母を持つ実の兄弟です。織田信長とは13年もかけて織田家の家督を争いました。兄弟ではありますが織田信長とは正反対の性格だったと言われている武将です。

この記事では織田信勝の生涯を年表付きで分かりやすく解決します。織田信勝がどのような人物であったか、織田信長の関係性、今年の大河ドラマなどで織田信勝を演じる役者達も解説していきます。

織田信勝の基本情報

織田信勝(おだのぶかつ)は尾張国・織田氏出身の戦国時代を生きた武将です。

生涯を実の兄・織田信長と織田氏の家督を争い、最後は織田信長に暗殺されてしまいました。

織田信勝の人生

できごと

誕生から父織田信秀の死去

織田信秀の三男(または四男)として生まれました。正室土田御前との間の子供で、織田信長は1つ上の兄にあたります。当時父・織田信秀は「織田弾正忠家」の当主として尾張国内に勢力を急激に拡大させていました。

拡大した領土を統治するため、織田信長を那古野城に置き政務に関与させ、織田信秀は織田信勝と共に末森城で活動するという二元体制が築かれました。その後織田信秀は病に伏し織田信勝は実質末森城城主となります。この頃は織田信長、織田信勝どちらが上ということはなく平等であったと言われています。

1552年織田信秀が後継者を明言することなく死去。喪主は二人で行うなど最期まで平等に行われたが、この葬儀で織田信長か奇行に走った為家臣達の信頼は織田信勝に信頼を置くことになりました。結果的には織田信長が単独で家督を継ぐことになりましたが、織田信勝は末森城を引き継ぎ、さらに柴田勝家、佐久間大学、佐久間次右衞門など織田氏の重臣たちは織田信秀に付くことをなりました。家督は継げなかったものの、織田信長にとって大きな脅威となりました。

兄・織田信長との対立

しばらくは表立った対立がなかった両者でしたが、織田信勝が突然当主の織田信長の関与なしに独自で半物を地元の豪商にに発給。織田信長も同じく発給したことで尾張国で経済戦争が勃発しました。これが両者の初の対立と言われています。その後叔父の織田信光が死去したことで織田氏の内部争いは織田信長、織田信勝の2人に絞られました。

織田信秀が死ぬまで両者は不仲とは言われていなかったことから、「うつけ」と言われた織田信長を不審に思った家臣達からそそのかされ、織田信勝が兄との対立に踏み込んだとされています。さらに織田信勝は名前を「達成」と改名。これは滅亡した守護代織田大和守家の当主が使う通字「達」を意識して改名しており、守護代の役を代行すると表明したという見方もあります。また官途名として父と同じ「弾正忠」を名乗り、自らが織田氏の正当後継者だと身を以て表明し、織田信長と対決の道を進みました。

稲生の戦いと最期

織田信長の最大の支援者である美野国の戦国大名・斎藤道三が死去し支援が断たれた織田信長は、苦境に立たされました。それに乗じ織田信勝の家臣である林美作守らが織田信長暗殺を企てましたが未遂に終わりました。

1558年8月織田信勝は林秀貞、林美作守、柴田勝家らと共に織田信長に対して兵を挙げます。織田信長の直轄領である篠木三郷を奪おうとしたのに対し織田信長は名塚砦を築いて対抗しました。柴田勝家らは名塚砦へ攻撃に打って出て8月24日に稲生にて両者がぶつかります。結果柴田勝家は敗走し、林美作守は討ち取られて織田信勝の敗北に終わりました。織田信勝自身は末森城に籠城し織田信長は末森城に攻めましたが母・土田御前によって止められました。

この稲生の戦いで織田信勝は「弾正忠」を名乗ることをやめ権威を大きく後退させましたが、まだ織田信長に対して敵意は抱いていました。独自の半物発給も継続させ、美濃国の斎藤高政には織田信長に対して決起を促す書状を送るなどしていました。さらに織田信長に備え竜泉寺城の築城を始めましたが、流石に織田信長も無視できず仮病を装い清洲城に見舞いにきた織田信勝を暗殺しました。この後尾張を平定して織田信長は天下統一に打って出ることになるのでした。

織田信勝の人柄

織田信勝の人柄や人物像についてまとめます。

鷹狩りの名手

織田信勝は兄・織田信長と同じく鷹狩りを好んでおり、非常にうまかったと言われています。織田信長も独特の方法で鷹狩りに興じましたが、織田信勝のやり方はさらに独特で飼い慣らした百舌鳥(もず)を使ったものだったと言われています。

百舌鳥をどのように使ったかまでは明記されていませんが、様々な鳥の鳴きマネができる百舌鳥の特徴を利用していたと考えられています。現代でも解明されないほどの方法で鷹狩りを行い、さらに名手と言われていたことから織田氏の特徴でもある独特の価値観を持っていたことに間違い無いでしょう。

織田信勝暗殺の裏側

稲生の戦いで織田信長に敗れた後、竜泉寺城の築城を始めた織田信勝ですが、柴田勝家など昔から仕えた家臣達をないがしろにし、男色相手を寵愛していたと言われています。柴田勝家は父。織田信秀から仕えた実績もある武将でしたがこのことで不信感を抱いたと言われています。

さらにもう一度篠木三郷に攻めようとした織田信勝に対し、呆れと不信感から織田信長に鞍替えを決め、篠木三郷攻めを織田信長に密告しました。それがきっかけで織田信長は織田信長暗殺に踏み切ったと言われています。

織田信勝のエピソード

織田信勝についてのエピソードについて解説します。

織田信秀の葬儀

父・織田信秀が亡くなった時点では父と同じ末森城で暮らし、可愛がられ、品行方正と言われていた織田信勝の方が「大うつけ者」と呼ばれていた兄・織田信長よりも家臣達の評判はよく次期当主と噂されていました。

さらに織田信長が葬儀で仏前で抹香を投げつけるという不届きな行為を行ったのに対し「折り目高なる肩衣・袴飯候て、あるべきごとくの御沙汰なり」と記されている通り織田信勝は正装で礼儀正しく振舞っていたとされ、二人の評判はさらに広がることになりました。

この有名な織田信長の行為は弟・織田信勝と平等に扱われ、後継者を明言することなく死んでいった織田信秀に対する不満の表れとも言われています。

弟・秀孝の死に対する両者の反応

1555年弟である織田秀孝が叔父織田信次の家臣に誤殺されてしまうという事故が起こりました。それを聞いた織田信勝は織田信次の居城守山城の城下を焼き払ってしまいました。

それに対し同じく殺された織田秀孝の兄である織田信長は「俺の弟ともあろう者が身分もわきまえず一人で出歩いていたのだから事故が起きても仕方ない」と冷静に判断し特に織田信次に関し何もしませんでした。

対称的な2人の行動は当時冷静な織田信勝、思うままに行動する織田信長という印象を一転させました。

フィクションにおける織田信勝

フィクションにおける織田信勝を解説していきます。

ドラマにおける織田信勝

織田信勝は織田信長関連のドラマ作品に多数登場しており、一番新しい作品では現在放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」で木村了さんが演じています。さらに小栗旬さんが主演を務めた月9ドラマ「信長協奏曲」では柳楽優弥さんが演じています。

信長の野望における織田信勝

織田信勝の信長の野望におけるステータスはシリーズによっても異なりますが、統率37、武勇44、知略65、政治59と知略だけは二線級の能力であるが他は歴代最弱クラスの武将です。兄が主人公のゲームとなっていることから「信勝謀反イベント」が強制的に発動し殺されるケースも多いです。

織田信長の天下統一を邪魔した最初の武将

織田信勝の死後、様々な武将を倒し驚くほどの速度で天下統一への道を歩み、もう一歩という所で本能寺の変で殺されてしまった織田信長ですが、織田信勝を下し尾張を平定するのには13年もの時間を要しました。もう少し早く織田信勝を下すもしくは織田信勝と仲良くすることができれば織田信長の天下統一も可能だったかもしれません。織田信勝は一番天下統一を邪魔した男と言えるでしょう。