望月千代女は、信濃の巫女頭とされる人物です。しかし、現代ではくノ一(女忍者)というイメージが強いと言われています。望月千代女=女忍者という説には根拠がありませんが、巫女が諜報活動の一翼を担っていた可能性があります。
今回は望月千代女の人生を年表付きで解説し、人柄や人物像、くノ一の仕事内容についても、まとめてみました。
望月千代女の基本情報
本名 | 望月千代女(もちづきちよじょ) |
生涯 | 不明 |
時代 | 戦国時代 |
出身国 | 不明 |
居城 | 望月城(信濃) |
主君 | なし |
官位 | 不明 |
夫 | 望月盛時 |
子 | 不明 |
望月千代女の人生
年 | できごと |
---|---|
※誕生年不明 | 誕生 |
1543年 | 望月氏が真田幸隆の仲介で武田信玄に臣従 |
1548年 | 武田信玄が村上義清に大敗を喫する(上田原の戦い) |
1551年 | 真田幸隆が砥石城を攻略し、村上義清は越後に亡命 |
1554年 | 甲相駿三国同盟が結ばれる |
1561年 | 第四次川中島の戦いで望月千代女の夫:望月盛時が戦死したとされる |
1567年 | 武田信玄が嫡男:武田義信を自害させる |
1568年 | 武田信玄が駿河に侵攻し、駿河が両国に加わる |
1569年 | 望月千代女に武田信玄が朱印状を与えたとされる |
1573年 | 武田信玄が西上作戦の途上で死去する |
1575年 | 武田勝頼が織田・徳川連合軍に大敗(長篠の戦い)。1582年に武田家は滅亡する |
くノ一とされたのは後世の創作なのか?
望月千代女は、信濃望月城主:望月盛時の妻で戦国時代における信濃巫の巫女頭とされる人物です。「くノ一(女忍者)」とされる説がありますが、これは1971年に、時代考証家の稲垣史生が著した「考証日本史」と言われています。
ただ、くノ一説については史料がないため、はっきりとしたことは分かっていませんが、後世ではくノ一としてイメージが強いようです。
武田信玄から巫女頭に任命されている
「千代女房」という巫女が甲斐・信濃の両国で神女頭に任じられたという記載がありますが、これが望月千代女を指しているのではないかとも言われています。
長野県小県郡の禰津村に伝わる文章では、武田信玄が川中島の戦いで戦死した望月盛時の妻:望月千代女を甲斐信濃2ヵ国の神子頭に任じ、旧縁を頼って禰津村に移住した望月千代女が、両国の巫女を差配したことが村の由来に書かれているとされています。
また、1569年に武田信玄が望月千代女に与えたとされる朱印状も伝わっているとされています。
生年・没年は不明
望月千代女の生年月日、没年月日は分かっていません。ただ、武田家のために情報収集を行っていたという情報があることから、「くノ一」だったという説が生まれています。
望月千代女の人柄・人物像
望月千代女の人柄や人物像について紹介したいと思います。
望月氏について
望月氏の起源は平安時代まで遡ります。望月氏のいた佐久地方には「望月の牧」という牧場があり、古くは天皇に献上するための馬を育てていたと言われていました。「望月の牧」で育てた馬が、望月氏により朝廷に送られていくという流れで献上されていたものと思われます。
そして、その途上にある甲賀(近江)で馬の調教や休養を行っていました。その縁で、望月氏と甲賀が交流があったようです。そういった関係から、平将門の乱の後に、信濃から望月三郎兼家という人物が甲賀に赴任し、武士団を形成し、後の甲賀忍者と呼ばれる甲賀五十三家の筆頭格となり、戦国時代へと続いていくことになったとも言われています。
望月千代女は武田信玄の忍者だった?
望月千代女が、武田信玄の忍者だったという説に触れてみたいと思います。望月千代女の夫:望月盛時は川中島の戦いで戦死しています。未亡人となった望月千代女を武田信玄が雇いました。その雇用形態ですが、「女忍者の統領」だったと言われています。武田信玄も望月氏と甲賀忍者の関係が頭にあったのかもしれません。
かつてくノ一を養成する機関があり、それを始めたのが武田信玄だと言われています。ある時、武田信玄は巫女に目をつけました。富士山を崇める浅間神社につかえていた巫女たちは、各地に御札を配って歩く活動をしていました。
武田信玄はこの巫女たちを見て、諜報機関が出来ないものだろうかと考えたそうです。そこで甲賀忍者とつながりのあった望月千代女に目をつけたという訳です。武田信玄は望月千代女を「甲斐信濃二国巫女頭領」に任命しているのも、この諜報機関と関係があるのかもしれません。
望月千代女の名言・エピソード
望月千代女の名言やエピソードについても紹介したいと思います。
くノ一の育成方法とは?
望月千代女が「女忍者の頭領」だったことを前提にしています。くノ一の育成方法ですが、まず合戦で発生した孤児や捨て子の中から、美少女を選び出しました。あえて美少女を選んだのは、男を妖艶な姿で騙し、情報を得るというくノ一の特徴には必須条件だったからです。
そして選び出した美少女たちを信濃小県郡禰津村(長野県東御市)の修験道場「甲斐信濃巫女道」に集めて、女忍者「くノ一」を養成してきました。ではどのようにして「くノ一」を育成していったのでしょうか?
まず、美少女たちは修練道場で「巫女道の修練」を叩き込まれました。具体的には、「呪術」・「祈祷」・「口寄せ(霊のかわりに語ること)」・「調伏(悪行に打ち勝つこと)」などでした。そして忍者として必要なことも教え込まれていきました。具体的には、「読み書き」・「情報収集能力」・「忍術・忍法」などです。
これらの修業はかなり過酷なものだったと想像されます。このようにして200人を超える美少女が、歩き巫女の姿をした女忍者となり、全国から武田信玄の元に情報がもたらされるようになりました。
くノ一の仕事内容とは?
ではくノ一はどのようにして、情報を得ていたのでしょうか?まず、武田信玄の軍事行動に合わせて、敵方の武将の情報を得るようにと、命令が望月千代女に下ります。命令を受けた望月千代女が、適任の女忍者をその目的の武将の元に走らせます。
目的の武将への近づく手段ですが、様々なものがありました。例を挙げると、①武将に関係のある有力な商人の家に下働きから住み込んで、主人を信用させて近づく方法 ②武将の屋敷に下女として入り込み、あわよくば側室になる方法 などがありました。
ターゲットの武将からの情報は、「つなぎ(連絡役)」の人に報告し、それが望月千代女の元に入り、武田信玄に報告されるとするという情報網です。武田信玄の快進撃はくノ一たちに支えられていたのかもしれません。
フィクションにおける望月千代女
フィクションにおける望月千代女について、紹介したいと思います。
信長の野望における望月千代女
信長の野望における能力値ですが、統率:70、武勇:81、知略:88、政治:45、とけっこう使い勝手が良さそうです。おそらく姫武将として登場する作品が多いかと思われます。
ドラマにおける望月千代女
望月千代女が登場するドラマは現在のところ、ありませんでした。ただ、望月千代女が登場するゲームや、アニメはあるようです。
望月千代女は女忍者だったのか?
望月千代女が女忍者であったか否かについては、様々な説があります。巫女が諜報活動をしていいたのかという点でも謎があります。しかし、歩き巫女が何らかの諜報活動をしていた可能性が残る史料も残っています。他国の情報を得るため、忍者たちを重要視していた大名たちも一定数います。しかし、くノ一(女忍者)を重用していた大名はあまり例がありません。
武田信玄がくノ一を使って情報を集めていたとすれば、これは画期的なことだったのかもしれません。