真柄直隆はとにかく強かった!姉川の戦いでの活躍と逸話とは?

越前朝倉家の家臣に真柄直隆という人物がいます。真柄直隆は、「北国の豪傑」と呼ばれるくらいの猛将で、本多忠勝と互角に戦った強者でもあります。記録が少ないので、活躍したのは、最期を迎えた姉川の戦いが最初で最後とも言われています。

今回は真柄直隆の人生や人柄・人物像を分かり易く解説していきます。また、エピソードも紹介してきたいと思います。

真柄直隆の基本情報

真柄直隆の人生(年表付き)

できごと

誕生

真柄直隆は、1536年に生まれとされており、北国の豪傑として知られ、軍記物語などにもよく登場します。真柄直隆の幼少期については詳しいことは分かっていませんが、真柄氏は、越前の国人として朝倉氏の客将の立場で、朝倉氏の完全な家臣ではありませんでした。

しかし、真柄直隆の代になると朝倉氏の家臣として仕えるようになったと言われています。真柄直隆は通称「十郎左衛門」と呼ばれており、弟の真柄直澄も「十郎左衛門」と呼ばれていたため、同一人物という説もあります。

姉川の戦いで討ち死に

真柄直隆が有名になったのは、1570年の姉川の戦いです。真柄直隆は朝倉軍の敗北が濃厚になると、味方を逃がすために単騎で徳川軍に突撃し、12段構えの陣のうち8段まで破る活躍を見せますが、力付き討ち死にしています。

真柄家のその後

姉川の戦いで、真柄直隆だけでなく、勇猛で知られた弟:直澄、息子:隆基も戦死しています。主家の朝倉氏はその後滅亡しますが、1583年に丹羽長秀(織田家重臣)から「真柄加介」宛に知行安堵状が発行されていることから、真柄一族は存続していることが分かります。

真柄直隆の人柄・人物像

真柄直隆の人柄や人物像について、紹介していきます。

本多忠勝との対決

姉川の戦いで、朝倉軍は徳川軍と戦っていますが、徳川軍の中から一騎で迫ってきたのが、天下無双の武将:本多忠勝でした。これを迎え打ったのが、北国の豪傑:真柄直隆でした。本多忠勝の「蜻蛉切」と真柄直隆の「太郎太刀」の武器も注目されがちですが、両者激しい撃ち合いの末、決着はつきませんでした。

匂坂三兄弟との対決

姉川の戦いは、当初は浅井軍が織田軍を追い詰めるなど、兵力で劣る浅井・朝倉軍が健闘していましたが、徳川軍が朝倉軍を破ったことで、戦局は織田・徳川軍が優勢になり、浅井・朝倉軍の敗色が濃厚になっていました。

真柄直隆は味方を逃がすために奮戦し、「我は真柄十郎左衛門!心ざしある者は引き組んで勝負せよ」と叫びます。これに「我は徳川が郎等、勾坂式部という者なり!参りあわん」と応じたのがそ徳川軍の匂坂(こうさか)三兄弟です。1対3の戦いで、三国志の虎牢関の戦いでの、呂布VS劉備・関羽・張飛の構図と似ています。この戦いは呂布が逃げたことで勝負はついていません。

話を戻して、真柄直隆VS匂坂三兄弟ですが、まず三兄弟の長兄:匂坂式部は真柄直隆にうちかかりますが、返り討ちに遭い討ち取られてしまいます。五郎次郎と六郎五郎がうちかかりますが、逆に危なくなります。そこに郎党の山田宗六が助太刀に入ります。しかし、山田宗六も討たれてしまいます。

真柄直隆の最期については二つ説があり、①流矢が真柄直隆の左目にあたり、そのすきに匂坂兄弟が2人がかりで討ち取った。②満身創痍だった真柄直隆が、2人に首を預け討ち取られた。とも言われています。

この時、匂坂兄弟が真柄直隆を討ち取った太刀は、「真柄切り」と名付け、名刀の一つに数えられています。

もはや1対3じゃなくて、1対4の戦いで一騎討ちと言えるかどうか分かりませんが、真柄直隆が相当な豪傑だったのは間違いなさそうです。

真柄直隆の名言・エピソード

真柄直隆の名言やエピソードについて紹介していきます。

巨漢で大太刀を振り回していた

真柄直隆は身長が2m以上、体重が250㎏を超えていたと言われていますが、これはオーバーに伝わっているような気がします。だいたいこの体型だと馬に乗れませんし、機動力に問題があります。真柄直隆の武器ですが、「太郎太刀」という五尺三寸(約175㎝)の大太刀だったと言われています。

戦場では馬に乗ってこの太郎太刀を持って活躍していたことから、かなり怪力の持ち主であることは間違いなさそうです。この太郎太刀ですが、現在は熱田神宮(愛知県名古屋市)が所有しています。

将軍に太郎太刀を披露

1566年に足利義昭(後の室町幕府15代将軍)が、朝倉義景を頼って朝倉氏の本拠地:越前一乗谷にやってきました。その際、真柄直隆は足利義昭の御前で太郎太刀の剣技を披露し、足利義昭は感嘆したと伝わっています。足利義昭の兄:足利義輝(室町幕府13代将軍)は剣豪将軍として知られていましたが、足利義昭は武闘派より知能派(信長包囲網の形成などで)のイメージがあります。

次いで、真柄直隆の息子:真柄隆基も大石を投げ飛ばす怪力ぶりを披露しています。175㎝の太刀を振り回す父親と、大石を投げ飛ばす息子のどちらが凄いかは甲乙つけがたいですが、この親子の豪傑ぶりがよくわかるエピソードだと思われます。

ちなみに真柄隆基の太刀は、「次郎太刀」と呼ばれており、長さは四尺七寸(約142.4㎝)であったと言われています。

フィクションにおける真柄直隆

フィクションにおける真柄直隆について、紹介していきます。

信長の野望における真柄直隆

信長の野望における能力値ですが、統率:49、武勇:83、知略:48、政治:17と完全に武勇が飛びぬけて高いです。武勇に関しては本多忠勝と互角に戦っているとか、戦場での活躍も加味すると、もっと高くても(80後半から90クラス)良いと思います。

ドラマにおける真柄直隆

真柄直隆が登場するドラマは今のところありません。ただ、映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」(2002年)で、真柄直隆をモデルにした武将:真柄太郎左衛門直高という人物が登場しています。

真柄直隆は本多忠勝と互角に戦った豪傑

真柄直隆は武勇に優れた豪傑で、軍記物などによく登場しますが、イマイチ知名度が低い気がします。ただ、謎に包まている部分も多いことから、これから注目されていく武将かもしれません。