菊姫は武田信玄の娘で上杉景勝の正室!政略結婚だったが夫婦仲はどうだった?

菊姫は武田信玄の娘で、後に上杉景勝の正室になっています。上杉景勝との間に子供はいませんでしたが、上杉景勝は1600年前後まで側室を持たず、菊姫が唯一の妻でした。記録も少ないため、菊姫について謎が多いところもありますが、今回は菊姫の人生を年表付きで解説し、人柄や人物像、名言やエピソードについても紹介したいと思います。

菊姫の基本情報

菊姫の人生

できごと

武田信玄の娘であり、上杉景勝と結婚

菊姫は武田信玄の五女として生まれています。母は武田氏一族の油川氏の油川夫人で、同母の兄弟姉妹には仁科盛信、葛山信貞、松姫がいます。1575年の長篠の戦いに敗れて以降、武田家当主の武田勝頼(菊姫の兄)は、外交関係の再建に乗り出します。1578年、上杉謙信の死去に伴い、養子の上杉景勝と上杉景虎による家督争いが勃発(御立の乱)。

武田勝頼は同盟関係だった北条家の要請に従い、上杉景虎の支援のために越後へ出兵します。しかし、武田勝頼は上杉景勝と上杉景虎との和睦の仲介をして越後かた撤兵しましたが、その最中、和睦が破綻し、上杉景勝が上杉景虎を討つことで争いを制し、当主になりました。

このことにより、武田と北条の同盟関係は破綻し、武田勝頼は上杉景勝との同盟を模索。1579年、菊姫は両家の同盟の証として、上杉景勝に嫁いでいます。この婚儀が整う前、菊姫は長島一向宗の願証寺の僧と婚約していたとされています。

上杉家では丁重に扱われる

嫁いだ後は、上杉家家中からは「甲州夫人」・「甲斐御寮人」と呼ばれ、質素倹約を奨励した賢婦人として敬愛されています。後世の歴代藩主も上杉謙信時代は敵対関係にあった武田家を丁重に扱ったと言われています。

1589年、豊臣秀吉は小田原征伐の際し、諸大名たちの妻子を3年間在京させることを命令。菊姫も同年12月に、上杉景勝と共に上洛し、以降京都伏見の上杉邸で死去するまでを過ごしています。後に上杉家は会津、米沢へと移封されていますが、菊姫が直接領地に赴くことはありませんでした。

京都で死去

菊姫は、在京時には諸大名や公家衆の妻女たちと、交流を図っていたことが記録に残っています。1603年冬より床に伏せるようになり、1604年、47歳で亡くなりました。

菊姫の人柄・人物像

菊姫の人柄や人物像について、紹介したいと思います。

上杉家へ嫁ぐのは当初は松姫だった?

武田勝頼が上杉景勝との同盟に際し、武田家の未婚の姫で候補に挙がったのが、妹の菊姫と松姫でした。武田勝頼は当初、松姫を上杉景勝に嫁せようとしていました。菊姫は長島一向宗の願証寺の僧と婚約していたという話もあり、相手がいなかったのが松姫だったからだと思われます。

しかし、松姫はこの話を拒否。それで菊姫に話が回ってきたと言われています。松姫は以前、織田信忠と婚約していましたが、武田家と織田家が敵対し、事実上の破談になっています。織田信忠が後に正室を迎えなかったことや、松姫が織田信忠の菩提を弔っていることから、当人同士は結婚する意思があったとも言えるでしょう。

実家が滅びるも冷遇されず

1582年、武田家は織田信長によって滅ぼされています。菊姫は実家を失ったことで、武田家と上杉家との同盟の証という役目がなくなったことになります。その上、上杉景勝との間には子供はできませんでした。

実家と言う後ろ盾を失い、子宝にも恵まれなかったことから、上杉家中での立場は厳しいものになったと推測できますが、上杉景勝は側室を迎えることや(後年、側室を迎えています)、菊姫を離縁することもしなかったそうで、息子が生まれなければ養子を迎えて家を継がせようとしていました。

そのため、上杉景勝との関係も悪くはなかったと推測できます。

お船の方と親しかった

お船の方は、直江兼続の正室です。直江兼続は上杉景勝の家臣で右腕のような存在でした。お船の方に娘が生まれ、「松」という名付けられていますが、これは菊姫の妹:松姫に由来すると言われています。これらのエピソードからも2人の関係が良好だったとも言えます。

晩年は、京都で過ごすことになった菊姫ですが、後に上洛してきたお船の方の存在は心強い存在であったと思われます。

菊姫の名言・エピソード

菊姫の名言やエピソードについても紹介したいと思います。

上杉景勝が側室を迎えたことがショックだった

関ヶ原の戦い後、上杉家は領地を大幅に削られ、米沢に転封になりました。お船の方は帰国しており、このころの菊池は病気がちだったと言われています。そんな中、国元で上杉景勝が側室を迎えていたという情報を知ります。上杉景勝の立場からすると、跡継ぎを作らないといけないと言う焦りがあり、側室の実家が公卿(四辻家)というところに惹かれたのかもしれません。

後に、この側室から上杉家の世継ぎが誕生。菊姫にもこの情報は伝わっていたのか、徐々に衰弱し、1604年に亡くなっています。上杉家の史料だと菊姫の死因は病死だとされていますが、史料によっては自害と表記されているものもあります。

唯一の妻という立場を失った菊姫が自害したと考えるのは自然なことですが、体裁を保つために病死としたという見方もあります。

人望があり、義弟の子孫は明治まで存続

菊姫は伏見で亡くなっていますが、上杉景勝と義弟:武田信清に死を看取られたと思われています。菊姫の死に関して、上杉景勝、武田信清だけでなく、家臣たちの間にも悲しみが広がっていたようで、人望があったようにも伺えます。

武田信清ですが、1582年の甲州征伐で武田家が滅亡した際、菊姫を頼り越後に落ち延びてきました。菊姫の取り成しもあって、その後は上杉家の家臣として過ごし、子孫は明治維新まで残っています。

フィクションにおける菊姫

フィクションにおける菊姫について、紹介したいと思います。

信長の野望における菊姫

菊姫の能力値ですが、統率:73、武勇:58、知略:66、政治:82となっています。女性なので、武将として史実モードで登場はしませんが、姫を武将扱いにすれば、登場する作品もあります。

ドラマにおける菊姫

菊姫が登場するドラマは、「おんな風林火山(1986年、TBS)」、「天知人(2007年、NHK大河ドラマ)」と数は少ないです。武田家の後半や上杉景勝を描いた作品には登場する確率が高いです。

菊姫はまだまだ謎の多い女性

菊姫と上杉景勝は政略結婚でしたが、武田家滅亡後も正室の立場が変わらなかったことや、上杉景勝が関ヶ原の戦いまでは側室を持たなかったことから、夫婦仲は良かったように思えます。ただ残っている史料が少ない為、まだまだ謎の多い女性でもあります。